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東北ボランティア2015

8月3日(月)から6日(木)まで、名古屋経済大学が主催する「共生社会の探求」という被災地ボランティア活動に、高蔵生2名と教員2名が参加しました。今回、訪れたのは、宮城県の仙台市、石巻市、女川町です。活動の様子を紹介します。

8月4日(火)

午前中から、仙台市宮城野区南蒲生地区にある「株式会社みちさき」の農場で、ボランティア活動に従事しました。猛暑日となったこの日、ビニールハウス内での作業は、非常に厳しいものでした。しかし、参加者の誰もが汗水たらして、活動しました。その後、南蒲生地区での「復興まちづくり」についてのお話を聴きました。

夕方、東北学院大学の学生たちと共に、ワークショップを行いました。名古屋経済大学が実施してきた「共生社会の探求」や、東北学院大学の学生たちが取り組んできたボランティア活動に関して、両大学の代表者が簡単に報告しました。その後、「名古屋でできる震災復興の取り組み」というテーマで、グループ討議を行いました。ソーシャルメディアを活用しての情報発信や名古屋での被災地物産展の実施など、名古屋と被災地を結ぶ「交流」のあり方が、具体的に話されました。

農作業ボランティア

「共生社会の探求」を報告する名経大生

グループ発表

8月5日(水)

朝8時30分頃、開通したばかりのJR石巻線を利用して、女川駅に到着。午前中は、女川町内をバスで回りました。私たちを案内してくださったのは、「一般社団法人コミュニティスペースうみねこ」代表理事の八木純子さん。女川町地域医療センター(旧女川町立病院)で、八木さんから震災時のお話を聴いた後、町内の浜辺集落を見学し、復興がなかなか進んでいない状況を目の当たりにしました。

女川町高白浜にある「ゆめハウスカフェ」。八木さんが関わっている被災者自立支援プロジェクトの一つです。ここで、昼食をとった後、「新田福祉仮設住宅」を訪れ、高齢者の方々との交流を図りました。今回のボランティア活動に参加していた留学生(ベトナム人、フィリピン人、ネパール人)が、母国の童謡を歌ったり、日本人学生がエイサーを披露したりしました。そして、各グループに分かれての懇談。高齢者の方々と若い学生・生徒とが、盛り上がって、話をしていました。

女川駅にて

女川地域医療センターから望む光景

女川町内にある海水浴場にて

草むしりを終えて

新田福祉仮設住宅にてエイサーを披露する学生

新田福祉仮設住宅での交流1

新田福祉仮設住宅での交流2

きぼうのかね商店街を訪れて

被災した石巻市立大川小学校を訪れて

参加した生徒の感想

この「共生社会の探求」で僕が思ったことは、東北学院大学の周辺では、津波の影響は、特になかったのですが、30分ほどバスで行った所からは、その影響がまだ残っており、名古屋で同じなことが起こったらと思うと、とても怖かったです。3日目に訪れた大川小学校では、建物が壊れていたり、教室と思われる場所には、物が落ちていたり、外には、上靴が落ちていたりしたのを見て、津波の破壊力を改めて恐ろしく思いました。また、そんな津波で、たくさんの方が亡くなったと思うと、胸が痛みました。未だに大きな爪痕を残している大震災の影響。だからこそ、ボランティアが必要だと思いました。そのボランティアに高蔵生が興味を持つために、学校のウェブサイトで、さまざまな活動が紹介されるとよいのではないでしょうか。募金は続けていきたいと思います。

今回の東北ボランティアに初めて参加して感じたことは、「自分の目で、被災地を見ることができ、貴重な経験を積めた」ということです。特にそう感じたのは、女川町の病院周辺と大川小学校を見学した時でした。病院の横には、当時の被災状況を刻んだ石碑があります。わずか数時間で、827名の方々が亡くなり、3900棟以上の住宅が破壊されました。一日で大切な人や住む家を失った方が、数多くいることを考えると、とても悲しくなりました。そして、当時の状態のまま保存されている大川小学校を見学した時、言葉を失いました。倒れた柱、折れ曲がった鉄柵、割れた窓、粉々に砕け散った風、中まで見える教室。この惨状に目を覆いたくなりました。被災地の方々は、今も、当時のように、あるいは、それ以上に再建できるようにがんばっています。2011年3月11日。その日、何があったのか。どれだけの方が、亡くなったのか。これは、いつまでも風化させてはいけない、私たちの心に刻み、そして、後世の人々に語り継いでいかなければならない。そう感じました。

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